現代の『蜘蛛の糸』  (2006.11.15)




彼『蜘蛛の糸』って有名なお話ですね。

 知らない人はこれでも読んでくださいね^^⇒『
蜘蛛の糸

 このお話は”自分のことしか考えない人は救われない”ということを描いたお話ですね。

 その前段に悪人(罪深い人)でも善行を行なえば救いの光がもたらされるということも描かれています。

 仏教的視点で書かれたお話ではありますが。これは決してただの”お話”ではおわりません。

 スピリチュアルな視点で見れば、現実を生きる我々にもとっても大切な心を伝えているお話です。




 あ、今日の記事もすっごく長いので
 気が向いた方だけお読みくださいね^^。長くてすんませんm(_ _)m

 
 仏教(日本の仏教)では”慈悲”という言葉を使いますし、キリスト教では”愛”と言いますが、ともに他者を思いやり慈しみ大切にする心です。

 余談ですが仏教で”愛”というと愛着とか執着という意味合いが強く、あまり愛を肯定的に語りません。しかしよく調べてみるとおそらく仏教で言うところの”慈悲”がキリスト教圏の”愛”に近い言葉のような気がします。

 もうちょっと言えば男と女が乳繰り合うこと=”愛”ではないのは言うまでもありません。


 さて、話がそれましたが、

 よく「自分だけがうまくいけば良い」とか、まことに自分の都合しか考えない人がいます。

 下手をすると現代の成果主義・合理主義傾向の強い競争原理の色が強い社会では、他人を蹴落としても自分が成功することに価値があるかのような考え方をする人もいるようです。

 むかし私の職場の先輩が「私は自分の子供にはずるくても損をしないよう育って欲しい」と思って教育しているようなことを言っていました。あきれ果てました。

 また、今でもたまに自分の都合だけで文句を言ったり人の心や状況を全然省みないような人に会うことがあります。

 
 

 私は仏教の教えがすべて正しいとは思いません。

 しかしながら、『蜘蛛の糸』の?陀多(カンダタ)のように慈悲の心、利他の心がまったくない人はやはり意識のレベルが低くいわゆる地獄(のような意識レベルの世界)に落ちてしまうことは間違いないと思われます。

 時代の昨今を問わず世に現れた賢者や聖者、あるいはスピリチュアルなメッセンジャーはみな利他の心、慈悲の心(あるいは”愛”)の重要性を説いてきました。

 それは単なる社会道徳だけではなく、私たちの魂の波長を高めて霊的に向上していくためには、利他の心、慈悲の心を養うことがとても大切であるからでした。

 実際、我々の生きる意識レベルは厳格な階層世界だそうです(貧富で示される階層社会という意味でないことは言うまでもありません)。どういうことかというと、意識レベルが低く、怒りや悲しみばかりにとらわれていると、そういう波長に同調して苦しく怒りや悲しみあるいは暴力に満ちた世界に在ることになります。逆に愛と慈悲で生命波長を高めていけば、おのずと意識レベルが高まり、美しく清浄な世界に在るようになるそうです。

 それは言葉で語るには精妙な宇宙の神秘ですので、私がここでそれを知ったようには語れません。ただ、どんなに立派なことを語ったとしても”私”の心が愛に満ち溢れていなければ、愛のある世界に留まることはできず、怒りや執着に心が埋め尽くされていればそれ相応の世界で苦しい思いをするというわけです。



 話は戻ってカンダタという悪人の悲しくも愚かな身勝手な心では清浄な世界には行けないことを芥川さんは絶妙に描いたわけです。

 そしてこのお話が国語の教科書で用いられるのはやはり社会道徳としても優れたことを示唆していると同時に、スピリチュアルな視点でも重要な話であると多くの人が気付いているからでもありますね。


 ところが競争社会でたかだか7〜80年の現世で目先の損得勘定ばかり優先させることしか考えられない人たちが自分の子供をまるで現代のカンダタを作るような教育をしているケースがあります。

 まあ私は世の親御さんや企業人に聞き取り調査や意識調査をしたわけではないので実のところどれくらいの人がそういうカンダタ製造教育をしているかわかりません。

 ただそういう目先の損得勘定しか若い世代に伝えられないということは、つまりはしわあわせを願ってしているつもりが、子供たちに地獄の意識レベルを植え付けているわけです。とんでもない話です。


 一方で心霊やスピリチュアルな世界はそういう分野が遅れているといわれる日本でも江原さんみたいな人が活躍するくらい開かれた意識を持つ人が増えてきました。

 でも江原さんは素晴らしい努力をされてますが、彼がすごいのではなく、誰もがスピリチュアルなことに目を開き、人はなんのために生まれ生きているのかを学ばねばなりません。ある意味時代とともに人の意識は確実に進化しています。

 しかしながら逆のベクトルにやっきになってカンダタを育成しようとする人もいます。悲しいことです。


 子供のころ学んだであろう『蜘蛛の糸』。そこにあるとってもとっても重要な美しいメッセージを思い出さねばなりません。”単なる読み物”として国語の教科書に載っているのではなく、非常に大切なメッセージがそこにあるから長い歳月国語の教科書にも載るわけです。・・・今も載っているんだよね^^?よくわかりませんが(駄)。


 ということで格差社会といわれ、ある人は毎年海外旅行や長期旅行に出かけ必要もない贅沢な高級車に乗りレジャーや美食を楽しみますが、一方で立派に働いているにもかかわらず満足に家族を養えなかったり食うに困っている人もいます。世界的に見れば本当は飢餓など世界から根絶できる生産力があるにも関わらず何万人もの人が飢餓で亡くなっています。


 自分の低我の欲望を満足させることかまけていると『蜘蛛の糸』は切れてしまいます。しかし地球意識も人類意識も確実に進化しています。

 それは間違いないでしょう。ただ逆行というか目先の損得勘定ばかりで意識レベルをどんどん下げている人もいます。もちろん自惚れて自分がすごいとか偉いなんて思えばこれを書いてるそばから私の意識も波長が落ちるでしょう。



 ですから、魂の尺度で見れば、利他の心も自分を利することに変わりはないのですから、自分だけを満たすのではなく、世界は常に自分と一体であり、世界で起きていることには意識のどこかで我々は常に連動しており何事も自分とはまったく関係なく責任のないことなどないことを知り、可能な範囲で世界に愛を注がねばならないのでしょう。


 利他の心、それは自分を愛することと何の変わりもなくとっても大事なこと。


 自分だけが極楽にいけるなどということはありえないそうです。
 でも幸せになりたいし楽しいことに囲まれていたいというのは誰もが思うことです。



 私事でなんですが、一応ライフワークが音楽だと思っているちょっとおばかな私は歌を歌うにしてもLOVE&PEACEなわけです^^。それ以外歌うべきことなんかありません。

 まあただ気をつけないといけないのは調子に乗って利他の心を忘れてしまうようなら音楽なんか手放すべきだと心のどこかで思ってもいます。これは実に難しいのでたまに悩みます。

 とりあえずカンダタにならないよう戒めつつ日々を自分に出来ることを模索している次第です。

 


 
 
 利己主義、目先の損得勘定にとらわれ自分可愛さにそうなっちゃうと、結局は不幸になる仕組みです。不思議な仕組みですが自分の損得勘定を捨て去り利他の心で生きれば清浄なる高い叡智という素晴らしい恩恵に恵まれるという仕組み。


 芥川さんも素晴らしいお話を書いたものです。


 みんなで意識を輝かせると地球も我々もますます明るくなります。
 
 すべては一つに繋がっています。


 自分はそんなこと知っちゃイネーよって言ったて逃げられません。それは糸の切れる前のカンダタの意識と同じこと。つっぱったって落ちちゃうよ。

 ただ気付いて意識を輝かせる努力をするようなっているのです。

 
 だからひねくれないで小さなことから愛と慈悲を心に育てるといいんじゃないかなあって思います。


 ちいさな木の実がやがては大木になるように小さくてもいいから愛の種を蒔けたら素敵ですね。

 

 今日も長文お付き合いくださりありがとうございますm(_ _)m

 
 
LOVE&PEACE

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